【幸せになる勇気】青年と哲学者との対話の物語としての面白さ【書評・レビュー】

前作「嫌われる勇気」からの続編

幸せになる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教えII

幸せになる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教えII

「幸せになる勇気」は前作の「嫌われる勇気」からの続編であり、実践編でもあります。 前作ではアドラー心理学の基本部分、その思想を学ぶことができました。 今作ではアドラー心理学をいかに実践していくのかについて、その具体的な指針を導きます。

青年との熱く激しい対話

この作品は、あるアドラー心理学を学ぶ哲学者のもとに訪れた青年との対話形式で行われます。 青年は常にアドラーに対して疑念を抱いており、その思想への疑問を憚ることなく哲学者へと向けます。 その対話のなかで、我々も同じく疑問に思う部分が解決されていくため、非常にわかりやすく読みやすい、そして飽きない内容になっています。

前作で青年はアドラーの心理学を学び、その思想に共感・感化して、自らの人生を生きることを決意しました。

しかし、その3年後、再び哲学者の元を訪れた青年は、今作では一転してアドラーを批判します。 アドラーの心理学は、全く現実にかなったものではなく、ただの理想論で現場では全くの役にたたなかったと。

この作品の青年は少し攻撃的で、哲学者に向けても歯に衣着せぬ物言いです。 しかし、それはしっかりと論理だっており、単なる罵倒や批判ではありません。

今作では、その青年の物言いがますます激しいものとなっています。 おそらくあれほど希望の光に見えたアドラーの心理学を実践したら、現場では役にたたず、大きく裏切られたという思いも大きかったのでしょう。 アドラー心理学の現実で実践上での問題点を追求していきます。

教育としてのアドラー心理学

青年の悩み・問題は、アドラーの心理学を教育の場で実践しても、なにも問題が解決できなかったことです。 アドラー心理学に感化され、その思想を子供にも広めようと、教育者となった青年が、現場で”褒めず叱らない”を実践したところ、まったくうまくいかなかったのです。

哲学者が指摘した問題点は以下のこと

  • 青年が子供たちを1人の人間として”尊敬”していないこと
  • 子供たちの関心事に関心を寄せていないこと
  • ”これからどうするのか”を考えず、原因ばかりに着目している
  • 言葉でのコミュニケーション・問題解決を避け、暴力・怒りという手っ取り早い手段で他者を支配している
  • 賞罰によって子供たちの間に”他者は敵である”という競争原理を働きかけている。しかし、これはシステムの問題でもある

すこし荒くピックアップすると、以上のようになります。 これらの問題はアドラー心理学によって、それがなぜ問題なのかを解き明かします。

幸せになる勇気

教育に関する対話を進めていくなか、哲学者は青年の根本的な問題点を指摘します。 青年は”幸せになる勇気”を持ちえていない。 青年は、あくまで子供たちを救うことを通じて”自分が救われたい”だけである、と。 いわば承認の欲求にかられての行動であり、その先に本当の幸せは存在しない。 この部分を解決しなければ、教育に関する議論を行っても不毛でしかない。

ここで、前作から引き続いて”仕事”、”交友”、”愛”の人生のタスクの議論となります。

感想

思ったより長くなってしまったので、とりあえずこの程度で・・・ ”幸せになる勇気”は今作も読み物としても面白いです。 しかしながら、青年の口調が以前にもまして激しく、ときには罵るようなものであるため、人によっては抵抗感を感じるかもしれません。 しかし、そのような議論のなかでありながらも、哲学者が青年とともに学ぼうと対話を進めていく姿勢そのものが、我々が学ぶべき姿のように思えます。

もし、前作を読んでいない場合には、ぜひ前作から読み始めて欲しいです。 今作だけでもある程度内容を理解することはかのうですが、やはり前作の知識ありきの内容となっています。

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え